外国人講師から見る日本の英語教育㊤

日本中の多くの人を悩ませる永遠の悩み「英語」!皆さんは既にご存じかと思うが、日本はいわゆる「先進国」としては、事実上、英語力がアジア諸国の中でも最低レベルである。このことは残念ながら認めざるを得ないが、ではその理由は、そもそも英語自体を取得することにあたり、難し過ぎる言語なのだろうか、それとも皆さんの勉強の仕方に問題があるだろうか。そして最近話題となっているAI自動翻訳の導入に対し、ただただ喜んでいられるだろうか?英語を含む西洋文化が優れているとか、カッコイイということからは一旦離れて、果たして今という時代は英語抜きで駆け抜けられるだろうか?本日は、日本の英語教育が、長年現役外国人講師である自分の目にはどういう風に映るのかを御覧いただこう。 

知能は関係ない、国民性が関係ある!

はっきり言って、2023年の統計結果を見ても日本人の知能は他国に比べ全然低くはない。どうりで日本はロケットも打ち上げられるし、ノーベル賞の授賞者も沢山出ているし、プレイステーションも作れる。しかし、英語になると経済規模の面で比べ物にもならない第三世界の国々の方が、日本を遥かに上回るのだ。それは何故だろうか。僕に言わせてもらうなら、僕はその理由の根底にはなんと、「国民性」が強く作用していると信じている。先ずは外国人の前ではとにかく恐縮してしまうところ。あなたは、例えばアフリカ人がアメリカ人の前で緊張したり、恥ずかしがっている場面を今まで見たことはあるだろうか。

そうだ。内向的だったり人前に出るのが苦手だったり、物事をはっきり言えないことなどは、全部人の生まれつきの性質であって、なかなか変わらないし変わることを強制するものではないとは認める。問題は、「今」という時代なのだ。インターネットで全世界が即時で繋がり、言うまでもない貿易を含め色々な意味で多国と交流するしかない今時、ただ「恥ずかしいから」とか、「苦手」だと、本当に言っていられるだろうか。

性格を、もちろん無理矢理変えるまでして英語力を伸ばす必要はないが、もし本気で英語を喋りたいと思っている限りでは、消極的な性格こそ、どうにか変えるしかないと強く信じている。独学やよその英会話スクール、もしくは個人レッスンで物凄く勉強を頑張って、やっと英語が喋れるようになったとしても、外国人の前では顔が真っ赤になるくらいなら、そもそも勉強の意味はあるだろうか。人前でちゃんと喋れない人を、外国人たちは普通どう思うだろうか。確かに日本では日本語ができない外国人のことを、可愛く思ったり、当たり前だとも思ったり、特になんとも思わない場合も多々ある。だが、英語圏の国で長年住んでいた僕の経験を振り返ってみると、残念ながらちゃんと英語が喋れない人は、相手にもされないのが極普通であった。理由は簡単だ。それが英語圏の国々の性質なんだから。世の中には英語を使う国があまりにもいっぱいあるので、まさか今時英語が通じないあなたは単にめんどくさいと、一緒にはなにもできないと思われがちかもしれない。したがって、英語取得に真剣であるならば、積極的で社交的な性格は、不可欠だと言える。

AI英会話アプリの明暗

最近、マスコミなどを通じて「AI自動翻訳がすごい」や、なんと「ChatGPTがあるからもうわざわざ英語を学ばなくても良い」まで、とんでもない発言をよく耳にするが、だとしたら、世の中には「電卓」というものがあるのに、何故数学は頭を使って計算をする?と、僕は思うわけだ。英語までデジタル化していくこの風潮こそ、「とにかく頭を使いたくないタイプの人たち」が自らは無知であることを、全世界に向かって赤裸々に証明しているとしか見えない。英語を、旅行や、なにかしらいざという時に短時間だけ使い、それ以上は要らないという状況なら、AIはそういう時だけに限って役立つ。とはいえ、このご時世の国際交流、貿易、なにより人と人の間での交際において、あなたは本当に英語を喋る度に翻訳機をポケットから取り出し、言いたい文章を一個一個AIの力に頼る気でいるのだろうか?

あれだけ日本政府が呼び掛けている「グローバル化」は、果たしてAIを使ったコミュニケーションなんかで達成できるだろうか。AIが出来たからって、その機能がすごいからって、決して喜ぶものではない。語学は毎日使える最高に実用性の高い立派な学文である。そして学文に対する心がけや態度は、どうしても結果としてそのまま表れる。つまり、自分の頭で考えて英語を喋れる人こそ、時代や技術とは関係なく勝ち組であり、生きた知識を持つ本物だと言える。人間の心の底にある気持ちやニュアンス、意図は、ソフトウェアでは絶対に100%伝わらない。そして本当の意味での国際交流というのは、人間と人間の間にプログラムなんかが介入してはいけない。

アメリカのディズニー・ワールドに行きたいから英語を勉強するって?

外国人又は外国語にふれ、「発音がカッコいい」「響きが気に入った」や、「白人は金髪で目が青いから憧れる」と思い、それがきっかけで勉強を始めることは悪いことでも、間違ってもいない。むしろ純粋で素晴らしいことだと思う。しかし、きっと勉強をし続けると共に、ある程度のレベルに至ってからは、いずれそのような盲目的なきっかけはどうでもよくなるはずだ。その理由は、英語力が伸びれば伸びる程、その分西洋文化や社会全体を見るより現実的な視線が身に付くからだ。実際、多くの生徒さんがそのレベルになってからは、英語を更に深く探求するか、もうそれ以上にはなれない自分に失望し辞めるか、どっちかに分かれる流れが一般的である。

すなわち、きっかけはなんでも良いが、単なる憧れで勉強を始めた人と、自分が「なんで英語を勉強したいのか」について、はっきりした理由がある人を比べると、断然最初から明確な目標を持った人の方が勝つことを、講師として強く協調させて頂きたい。「ニューヨークに旅行行くときのため」「なんとなく」「親にやらされてやっているだけ」などが始まりだった人と、例えば「イギリスのオックスフォード大に入学する」「アメリカでバンドを組んでアルバムを出す」「ニュージーランドでキウイハズバンドを見つけて結婚する」などがきっかけだっと人との英語レベルの差は、いうこともない。今時はもちろんこれからの未来を想像してみても、下手な英語力こそ時代錯誤であり、国の政策失敗であり、いつまでも他の強国に振り回され、依存するしかなくなってしまうことを、何度でも主張させて頂きたい。

そうするとここで一つの疑問が生じる。「じゃあ、英語を取得するためには、必ずみんながそこまでデカい夢を抱かなきゃいけないのか?」というのがそうだけれど、それは現実的に無理である。だからこそ公教育及び私教育側が、今の実用性のない教え方には問題があることを自覚し認めた上で、大々的な改革を行うことで全体の基礎英語力を引き上げる必要がある。それと同時に、進学や入試だけのためではなく、英語を真剣に学ばなきゃいけない重要性をなんとしても生徒さんたちにきちんと伝えなきゃいけない。

それでは、公教育と私教育での英語教育の実態はどんなものなのか、僕自身の現場からの実体験から紹介させて頂く。

公教育に願うこと

恐らくほとんどの人が教わった定番のフレーズ、「Hello, how are you? 」 「I’m fine. 」は、今でも堂々と教えられているが、実際にこういったフレーズはありだろうか。僕自身は過去、埼玉県のとある公立小、中学校で非常勤講師を務めたことがあるが、日本中横行してきた不自然な英語を毎日のように身をもって感じていたのだ。まず真っ先に気になったのはテキストで、裏表紙には「監修」をしたというアメリカ人の教授らしき人の写真まで載せている割には、その内容が不十分だったことを、未だに鮮明に覚えている。本文に書かれている数々のフレーズがあまりにも現実と離れていたので、「このテキストは本当に語学教授が監修しましたか?」と、文部科学省に問い合わせをしようと思ったくらいだ。

問題は教材だけではない。英語科を担当している現場の日本人の先生の方々って、先生としての資質は別だとしても、彼ら本人たちがあの頃受けた古き固き英語と、日本人特有の発音を、現世代の子どもたちにもそのまま伝授していることだ。この大問題の深刻さに対し、一応解決策として導入された制度が、いわゆる「ALT (Assistant Language Teacher;外国語指導助手) 」である。ALTとは文字通り、外国人の先生がアシスタントとして、主である日本人の先生を補助し、特に発音の方を矯正するあくまでも「脇役」だが、僕はこの体制の効果はほぼ期待できないと、役割が逆になるべきだと信じている。

大半の学校が週一回か二回ALTを招くだけで、ぶっちゃけ今までその結果はどれくらい良かったのかと、真剣に問いたい立場だ。ここできっと多くの人は、「もしALTが主になり授業を行ったら、子どもたちが混乱する」と反論されるかもしれないが、ネイティブである僕からの意見だと、そういった甘いところこそが低英語力の原因だと思うわけだ。正直、英語のレッスンを100%英語だけで行う前提は、全くおかしくないし、むしろ当たり前だ。授業を受ける子どもたちが、焦って「なんて言っているのか全然分からない」と騒ぐ場合ではないことを、日頃からちゃんと肝に銘じておく必要があるのだ。

英語が聞き取れなくても、焦っても、英語は「とにかく勉強しなきゃいけないもの」というのが現実なので、学ぼうとする側が、自分たちのレベルに合わせるよう「もうちょっとゆっくり喋って」とか、「もっと簡単なことを教えて」等を先生側に望む態度は、間違っている。それどころか、ネイティブの先生のスピードとレベルに、学ぶ側が合わせるべきであって、それこそが勉強らしい勉強だと言える。そして日本人の先生は、逆にアシスタントとなり、どうしても日本語での説明が必要なやむを得ない場面だけ前に出る仕組みが望ましい。

ALTたちの給料が出る市教委の予算や、他の教科とのバランスなどが理由らしいが、それでも週1,2回だけのレッスン回数も少なさすぎる。外国では当たり前であって全ての基本である英語を、未だに「オプション」のような扱いをする現状は、様々な分野において衰退し続ける今の日本の国家競争力を更に低下させ、とにかく自国を美化するマスコミの洗脳や、歪んだ愛国心に拍車をかける第一原因だと、講師として強く信じているわけだ。続きを読む

2 COMMENTS

メタル

이건 뭐, 한국도 비슷한 것 같아요ㅋㅋ요즘 학생들은 아닐수도 있겠으나, 8-90년대에 영어교육을 받은 사람들은, 못하면 맴매를 맞고 자신의 영어실력이 점수로 판정되어 온갖 수모를 겪다보니, 주입식 교육때문이란 핑계 말고도 정신적인 외상덕분에, 외국인 앞에서면 한없이 작아지고 초라해지는 것 같습니다ㅜ

확실히 영어는 ‘의사소통을 하기위한 수단일 뿐이야’라는 식의 사고를 하는 사람들이 더 쉽게 영어곳부에 도전하고 실력도 느는 것 같습니다(뭐, 개인적인 생각입니다)

나름 고등교육을 졸업하고, 대학에 가서 교양과목으로 실전영어 교육을 ‘의무적’으로 들었었는데, 무려 첫 수업내용이 ‘HELLO, my name is ○○○! nice to meet you!’였다는 어처구니없는 현실! 이건 유치원 수준이라구!..하면서도, 원어민 앞에서 한껏 움츠려 머뭇거렸던 부끄러웠던 제 과거가 생각나는군요:)

저는 정말 영어를 잘 못하지만, 어쩌다보니 대학시절 캐나다나 호주 출신의 원어민들과 친해져 곧잘 시간을 보내곤 했습니다. 뭐, 그 사람들이야 영어를 잘 못하는 저를 위해 아주 천천히 또박또박 영어로 말해줬지만, 그래도 ‘어차피 나도 한국어는 못해’하며 편안하게 생각해주니, 제 본 실력(유치원생보다도 못한 수준의)보다는 훨씬 더 나은 수준의 회화를 할 수 있었던 것 같습니다ㅋ

뭐…예나 지금이나 영어를 못하는 건 똑같으니, 영어로 묻지 마시길:)

이상, 번역기로 글을 읽은 주제에 주저리주저리 떠들었던 metal builder였어요:)

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J

한국도 비슷한 상황인가요? 지금껏 만나뵌 한국분들중 일본같이 영어가 평균도 안되는 분은 저는 없었거든요…

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